3.瞬時にやられた!という言葉が頭に浮かぶ。 先ほどまでのコスプレは目の錯覚だったんじゃないかと思うほど、板に付いたブラックスーツ姿の男は、オレの後ろから一歩前に出て視線を管理人の娘さんへと合わせた。 「お前が立場を利用して男を喰いまくる肉食系女子ってやつか?」 何でもないことのように普通の顔で言われて、オレも管理人の娘さんも一瞬時が止まる。 以前ここに住んでいたという人に悪い噂は聞いてはいたものの、さすがにそこまで酷いことは思わなかったから遮ることも忘れて聞きいってしまった。 すると、オレより先に我に返った管理人の娘さんが顔を真っ赤にして大声を張り上げた。 「ちょっ、誰に聞いたのよ!言いがかりだわ!!」 声高に怒鳴り散らす声を聞いて、そこでやっとこいつの意図が読めた。 オレをここから追い出す作戦なのだ。 だからわざわざ女装してきたのだろうが、それをオレに遮られたから別の手段を講じたという訳か。 まさかと思えない顔つきでチラリをこちらを一瞥した男は、薄く笑みを履いた口元をまた開く。 「そうなのか?一人暮らしと分かっている男の家に押し入ろうとするってのは、そう取られても不思議じゃねぇだろ?」 「なんですって!?」 これ以上余計な口は閉ざさねばならないと、慌てて後ろを振り向いて高い位置にある口を塞ぎにかかる。 すると、それを止めるでもなくその手を引き寄せて何故かオレの腰を抱き寄せた。 意図が読めずに塞ぐ手を緩めた隙に、リボーンはまたいらぬ口を開く。 「よかったな。これでこの女に食われる心配がなくなったぞ。まぁ、それでなくてもお前を他人にくれてやる気はねぇが」 「…なに、言って?」 妙な台詞に眉を寄せていれば、後ろから娘さんの悲鳴が聞こえてきた。 「し、信じられないっ!男同士でなんて不潔よ!!早々に退去してもらいますからね!」 「はぁ?!なん」 でですかと言い切る前に玄関の扉が乱暴に閉ざされた。 突然遮られ暗く閉ざされた視界を前にオレは、寝惚け頭のままぼんやりと瞬きを繰り返した。 どうして娘さんが突然怒り出したのかといえば、この怪しい男の失礼な物言いのせいだ。 なのに何で話を止めさせようとしていたオレを含めて罵倒され、出て行けまで言われなければならないのか。 顔を戻すも視界の前にはブラックスーツの肩先しか見えなくて、しかも腰にはいまだに男の手が回されている。 いい加減にしろと顎を上げて睨みつけてやれば、リボーンは肩を竦めて悪びれない顔で口を開いた。 「ここまで上手くいくとは思わなかったぞ。あの女、現実と妄想の区別がついていないんじゃねぇのか?」 「いや、まぁ…」 たぶんにその傾向があるらしいと聞いていたので、その通りだったことに言葉を詰らせた。 あれで働いているなんて、同僚とか上司は余程人間が出来ているのだろう。すごいなと感心していれば、またも上から声が掛かる。 「で、お前はここを追い出される訳だが、どうするんだ?」 「へ………ぇ、えぇぇえ!?」 思わず余所事に奪われていた意識をとんでもない言葉で引き戻された。 追い出されるってどういうことなんだ? 「って、あれ本気ってこと!?」 「だろうな。オレに声を掛けようとして、まさかお前みたいな『男』がこのオレの恋人だなんて言われちまったら拳の振り下ろす場所がねぇだろうし」 可哀想になと片頬を皮肉げに引き上げている顔を見て、手を上げて制止を要求する。 「…………ちょっと待った。今、ものすごーく不吉な単語が出た気がしたんだけど」 聞き間違いだと分かっていても、とりあえず流したらいけない単語だった気がするのだ。 下から見上げるように小首を傾げつつ、もう一度こちらから訊ねてみる。 「恋人って聞こえたけど、勿論聞き間違いだよな?」 当たり前だ、ふざけるなと返ってくるだろうことを予測していたオレの眼前で、リボーンはニヤリと口端を上げた。 「ああ言ったぞ。これで変な虫がつかなくなるって意味でな」 「!」 いつの間にオレとこいつがそんな関係になっていたのだろうか。 否、なっている筈がない。オレは今でも女の子が好きだ。 つまりこいつはオレをここから追い出すために嘘をついたのか。 目的のためには手段を選ばないやり口に戦慄していれば、リボーンは何故かニヤニヤした顔を近付けてくる。 「なんだよっ!」 このままだとゲイ疑惑のままここを追い出されるのだろう。 うまいいい訳はないものかと焦りながら、それでもダメならどこに行こうかと途方に暮れる。 何度も言うが、オレは引越し資金すら危ういほどの薄給なのだ。 この金額の賃貸物件がすぐに見付からなければ、強制的に実家へ戻る羽目になる。 つまりは稼業を継がされることが確定するということで、それだけは避けたい。避けなければならない。 やってくれた男を睨む気力もなく項垂れていると、ポンと肩を叩かれた。 「なんだよ…」 ほっといてくれという気持ちで不貞腐れた声を零す。そんなオレの顔を上げさせようとしてか、幾度も肩を叩かれて仕方なく顔をあげれば、リボーンは気持ち悪いぐらいの優しい笑みを浮かべていた。 「ひっ!」 初めて見る笑顔に恐怖の声が漏れるも、リボーンは気にした様子もなく視線をオレに合わせた。 「お前の稼ぎじゃ引越しなんて苦しいんじゃねぇか?なら、うちに居候させてやろうか?」 「え、あ…?」 分かってやった癖にと喉元まで出かけた言葉が、その一言で消えていく。 「ほっ、ほんとに?!いいのかよ!」 今までが今までだし、こうなったのもこいつのせいだ。だから信用してもいいのかと疑う気持ちもある。 どうしようと迷う気持ちと、背に腹は変えられないという勢いとで汗が出る。 かくして、奇妙な共同生活が幕を開けた。 2012.08.21 |